Vol.15 決して避けては通れないギランバレー症候群 治療費の話

ギランバレー症候群体験記
ギランバレー症候群は、自己免疫疾患の一つで、ウイルスや細菌がきっかけとも言われている。
両足の筋力低下、しびれ、運動麻痺、呼吸麻痺にもなりえる病気にかかり、治療を経て、リハビリ、回復に至るまでをコラムで振り返る。
治療とお金
ギランバレー症候群の体験を通じて、現実的なお金の話をお伝えしたい。
当たり前のことだが、病院に行って、治療を受ければお金がかかる。
ましてや難病ともなると実際いくらくらいかかるのか。私の実例をお伝えしたい。
入院期間:16日間(2014.8.29~2014.9.13)
私の場合、入院当初の大まかな治療方針は以下の通りであった。
- 「ベニロン」という献血製剤を3日間投与し、1週間ほど様子を観る。
- 1がうまく行かない場合は、もう1クール行ってみる。
- 2もうまく行かない場合は、透析のように血液を入れ替えることを行う。
- 治療途中、自力で呼吸困難になった場合は、気管挿管(管を口または鼻から入れる)する。
- 送管後、10日間ほど回復が見込めない場合、気管切開し、人工呼吸器へ移行する。
結果、私の場合1のみで済んだ。
かかった費用:約20万
当時、私は貯蓄もまともにしていなかったので、一時的に親に借りて支払いを済ませた。
今回は幸運にも、献血製剤の投与のみで治療ができたが、効果が出なかったり、人工呼吸などもっと治療が必要になった場合には、さらに費用がかかったはずだ。
また、私の場合は、退院直前までリハビリ施設への転院をすすめられていた。
最終的に、医師の指示で「リハビリは自宅で」ということになり、転院はしなかったが、もし妻と調べたそのリハビリ施設に転院していたら、月々30~35万もの費用がかかっていた。
難病医療費助成制度は対象外
ギランバレー症候群の場合、難病に該当はするものの「難病医療費助成」の対象外であった。
なお、長期間にわたり身体を動かすのが困難な場合は、障害者手帳を取得し、障害者支援制度を受けたり、各種公的支援を受けることもあるが、その時々により内容が変わるので、都度、確認したほうがいいとのことだ。
医療保険は未加入
保険に係る仕事に従事しているにも関わらず、恥ずかしながら当時、医療保険は未加入であった。
実は、住宅ローンの支払い等、お金のやり繰り厳しい状況で、保険にはいろいろ加入し、月々5万以上支払っていた時期もあったが、一つ、また一つと保険を解約してしまい、最終的には無保険状態になってしまっていたのである。
(ちなみに現在は、県民共済に加入している)
高額療養費申請は未使用
高額療養費とは、同一月(1日から月末まで)にかかった医療費の自己負担額が高額になった場合、一定の金額(自己負担限度額)を超えた分が、あとで払い戻される制度である。
今回の私の場合は、長期入院が想定され、また医療費が高額になるだろうと想像していたため、事前に妻が手続きを踏んで、「限度額適用認定証」発行の準備を済ませてくれていた。
しかし、治療が2ヶ月にまたがったこともあり、結果、高額療養制度対象外となった。
ただ、妻が、仕事上そのような手続きに詳しかったこともあり、お金の心配を若干でも和らげたのは事実である。備えあれば憂いなし、である。
休職期間:1ヶ月
自宅療養含めて約1ヶ月の休暇となった。
結果的には、有給休暇の残りがあったので、収入には影響はなかった。
しかし、あと1週間でも入院が伸びていたら、給与が減額されるギリギリの状況であり、本当に危なかった。
リハビリ施設に転院していたら…と考えると、想像しただけで恐ろしい。
今回の私の入院を機に、会社で所得補償保険に加入してくれることとなった。
私のように、従業員が病気やケガで長期の休職を余儀なくされ、その結果減少してしまった所得を補償してくれる「団体長期所得補償保険(GLTD)」という保険である。
企業側が負担する保険料は相当高額になるようだが、働く身としては安心の対応である。
考えたくもないが、再発もありうるこの病いの経験者としては、心の平安につながる。
お金の支えも治療の支え
「健康(身体)」「経済(お金)」「心(感情)」は三位一体で、完全に切り離すことはできないし、バランスをとることは難しい。
病気になると、先ずは治療に専念するものの、一方でおサイフの中身を、家族は常に気にしながら日々過ごさなくてはならない。
そのバランスが崩れたときに土台にある「心」は大きく揺らぐことが多い。
「お金の備えをしっかりしておきましょう」「備えあれば憂いなし」という言葉はよくよく耳にしていても、「わかっちゃいるけど…」と一言で片づけられないのが、現実である。
そんな中、私の場合、お金を立替えてくれた親や、助成制度の有無や高額療養費などについて調べたり、手続きしてくれた妻の存在はありがたかった。一人だったら、治療に専念することで精一杯で、先のことまで全く気が回らなかったであろう。
改めて、心身ともに支えてくれた家族に、感謝の気持ちで一杯である。