Vol.14 退院後も続く、家族とともに歩む回復までの道のり
ギランバレー症候群体験記
ギランバレー症候群は、自己免疫疾患の一つで、ウイルスや細菌がきっかけとも言われている。
両足の筋力低下、しびれ、運動麻痺、呼吸麻痺にもなりえる病気にかかり、治療を経て、リハビリ、回復に至るまでをコラムで振り返る。
硬化ばくだん事件!出すのが怖い
退院後は、子供もまだまだ幼かったため、私が社会復帰するまで約2週間程度、妻の実家にお世話になることになった。
病院で寝たきり生活を続けていたこともあり、病院を出て車内から見える景色、久々に見るスマホのメール等、様々な刺激に触れ、なんにもしていないのに、疲労感でいっぱいになった。
妻の実家に着き、一休みした後、皆で食卓を囲んだ。
まだ本調子でない私は、軽く食事を済ませると、便意をもよおしてきた。
(※注:食事中の方は、読み続けるのを一時中断した方が良いかもしれません。)
トイレに行くと、昨晩のことがよみがえる。
「そうだ…、大腸に滞在している、あの「硬化ばくだん」がまだ排出されていない!」
ばくだんと格闘し、トイレで15~20分が経過。
「門」からは「硬化ばくだん」の弾頭だけが出ているが、入院中にすっかり体力を失くしているため、強くいきめない。
一方でいきみ過ぎると「門」が切り裂かれそうになる。
「退院したばかりの私が数十分もトイレから出てこないとなると、妻の家族が皆心配してるだろうなぁ…。」
そんな思いが頭を駆け巡り、心中穏やかではなかった。
焦りと苦しみの中で、私は必死で神経を集中し、「門」の筋肉を総動員して、「ばくだん」を少しづつ引き伸ばそうとするが、これがなかなか厳しい。しかも日中、病院でもらった下剤を飲んでいるため、「門」から遠く離れた後方部隊からは、「早く門を開けてくれー!」としきりに開門の要請がかかる。
私は、「俺だって何とかしたいよ、いや何とかしなくちゃ」とさらに必死にいきみ続ける。
入院したばかりの頃、いきんだ時に気絶しかかった状況に近くなり、またまた軽いパニック状態に。
しびれを切らせた妻からドア越しに声がかかる。
私「う~ん…。」
妻「大丈夫~?」
私「ちょっと、ダメかも…。浣腸なんかある?」
妻「ちょっと待ってて」
妻「お父さん!薬局に行って、浣腸買ってきて!」
遠くから声が聞こえてくる。
ドアが閉まる音も聞こえ、わざわざお義父さんが買いに行ってくれたようだ。
しばらくして義父から妻の携帯に電話。
妻「お義父さんからの電話で、ギランバレーで退院したばかりなら、止めた方がいいと薬剤師に言われているみたいだよ!」
私「なんでもいいから買ってきて欲しい。普通のでいいから…。」
妻「お父さん!とにかく買ってきて!」
私「(あ~、オオゴトになっちゃったよ…。でもホントに限界。ん~…)」
デリケートな「門」が、硬い「ばくだん」によって壊され始め、「ビリッ!」、…そう音が聞こえたようだった。
「門」は完全に崩壊され、敵の大群が攻めてきた。冷や汗かあぶら汗か、もうなんだか分からない汗が体中から吹き出す。
そして体力を一気に消耗し、戦いを終えた。…惨敗である。
その頃、義父さんが到着。
義父「浣腸、買ってきたぞ!!」
私「わざわざすみません、ありがとうございます!何とか出ました!」
この日を機に、1ヶ月ほど痔3種の神器(塗薬、軟便剤、乳酸菌)は欠かせなくなった。
傷だらけ、血だらけの「門」を、これ以上痛めたくない。もうしばらく食べるのは怖い。あんな痛い思いをするのは嫌だ。
このお尻の一件で、そこに意識が集中し、ギランバレーで入院していたことの感傷にふけっている暇など全くなかった。
前向きに考えれば、それはそれで良かったのかもしれない。
日常生活のリハビリ
日常生活を過ごすというのは実はかなり難しいことなのである。
健常者からすると何でもないことなのだが、駅に行き電車に乗るだけでも、
電車待ちで立つ場所、横の人との距離、電車に乗るタイミング、人がぶつかってきたら倒れたりしないか、などなど。
1つ行動するにも、まず動きを考え、実際に身体を動かす、確認する、などとにかく時間がかかるのである。
ある日、社会復帰のため「バス・電車で自宅まで行ってみよう!」ということになった。
移動は、横浜(妻の実家)~川崎(私の自宅)の区間で、1時間もあれば行き来できるところだが、優しい義父の「一緒に着いていってあげよう!」という申し出を断り、私は「それぐらい一人で行けますよ!大丈夫ですよ」と1人で行くことになった。
自分で行動するのに精一杯なのに、そこに義父が加わると自然と気を使ってしまう。
足でもつまづこうものなら、「こいつ、大丈夫か」「大事な娘の夫としてやっていけるかどうか。」などと不安にさせちゃいけないと、本能的に意識が働き、強がってしまったのである。
結果、「自宅までの一人旅」については通常の2倍ほどの時間がかかったが、無事に終えることができた。
これはほんの一例だが、一つ一つの動作のぎこちなさと社会復帰への不安を抱えながら、日常生活でのリハビリを日々こなして行った。
妻の両親と過ごした2週間はあっという間だったが、家族で平穏に、しかも淡々と暮らす日々は、とても尊く感じた。
この時の尊い気持ちを決して忘れてはいけないし、私を支えてくれた妻子と妻の家族には本当に感謝してもし尽せない。