Vol.12 え、退院していいの?!退院許可は突然に

ギランバレーコラム画像

ギランバレー症候群体験記

ギランバレー症候群は、自己免疫疾患の一つで、ウイルスや細菌がきっかけとも言われている。
両足の筋力低下、しびれ、運動麻痺、呼吸麻痺にもなりえる病気にかかり、治療を経て、リハビリ、回復に至るまでをコラムで振り返る。

追い込みのリハビリ生活

リハビリ初日で驚くことも多かったが、その後3日間、医師も驚くほどの早さで回復を遂げていった。

歩行、早歩き、自転車こぎ、階段上り下り、ストレッチ、キーボード打込み、その他指先機能訓練を必死にやった。

リハビリ時間の終了後、自分のベッドに戻ってからもストレッチをしたり、紙に文字や円を描き続けた。

映画「ロッキー」で主人公が激しいトレーニングをやりつくし、雄叫びをあげるシーンがあるが、
まさに、その時の私の心情に近い状態だった。

身体がメキメキと回復してくると、主治医が巡回で様子を診に来るのが待ち遠しくなっていた。
早く、もっとこの回復ぶりをアピールしたい!と。

主治医の先生は、系列病院のかけ持ちで非常に忙しく、2~3日に1回ぐらいしか会うことができない。
妻は先生の状況説明を聞くために、可能な限り面会時間を調整して会いに来てくれた。

主治医から説明はいつも大部屋の中で立ったまま行われる。
妻は、周りに患者がいてもなりふり構わず、はっきりとした口調で状況確認をする。

「先生、夫はどうなんでしょうか?」
「良くなっているのでしょうか?」
「いったい、いつ退院できるんでしょうか?」

私は、その姿を見「早く良くならなきゃ…。できること(リハビリ)はすべて全力でやろう!」
と、改めて心の底から思った。というか、思わざるを得ない程、ピリピリの空気感を感じたのである。

後から聞いた話だが、この頃の妻は1歳にも満たない子どもを育てながら「これから先どうしたらいいのか…」と途方に暮れ、気持ちがドン底だったという。
何ものにもぶつけがたい、その不安な気持ちが、面会時にこちらにもバンバン伝わってきていた。

突然の退院許可

もともとの治療方針では、回復後は「リハビリ施設」に転院を勧められていた。
状況によっては1年かかるかもしれないと、説明を受け、夫婦ともどもその生活を受け入れる覚悟と準備を進めていた。

病院から紹介された転院先の候補を見ながら、なるべく自宅近くの方が何かと良いだろう、
でもベッドに空きはあるのだろうかと、真剣に転院先を考えている最中であった。

ところが、である。それはいきなりやってきた。

「転院はしなくてよさそうですね。リハビリ担当の作業療法士からすごい回復ぶりであると報告がありました。
この状況なら、むしろリハビリは自宅で日常生活をしながら行っていった方がよいでしょう。
リハビリ施設では、リハビリする時間も限られているし、自宅より制限されることも多く窮屈になるかもしれないので。」

と急遽、退院の方針が示されたのである。

リハビリ施設への転院を覚悟していた私たち夫婦にとって、主治医からの言葉は予想外であった。
まさに「奇跡の復活」だった。

正式に退院許可が出たものの、医師からは、退院後2週間程度は自宅療養し社会復帰は控えるよう、
特に車の運転は禁止との指示があった。

退院許可からほどなくして、一般病棟に移る指示が出て、翌日すぐに一般病棟へ移動。

一般病棟では、カーテンが閉められたプライベート空間で、しかもテレビが見れ、自由に買い物もできる。
そして看護師や患者の雰囲気は笑顔にあふれ、ゆったりしている。
何重にも扉のある軟禁状態の救急病棟から移った一般病棟は、私にとって自由に満ち溢れた魅力的な空間に感じた。

「よし、シャバ(一般社会)に出るのはもうすぐだ!」
一気に気分が上がってきていた。

「一般病棟」という、外の空気に触れた私は、早速、公衆電話から勤務先に電話をかけた。

私「あー、もしもし岩本です。」
同僚「えー?!岩本さん、大丈夫ですか~?」
私「はい、ご心配おかけしてすみません。明日退院できるようにまでなりました。まだ出勤するには2週間ほど後になりますが…。」

簡単に状況報告を終えると、ホッとすると同時に「うまく社会復帰ができるかなぁ…」と、今度は新たな不安がよぎったのも正直なところであった。

プロフィール

イワモトイワモト
1968年、神奈川県生まれ。大学卒業後、住宅メーカー、生命保険の営業職を経験。
45歳で娘が生まれ、その8か月後にギランバレー症候群を発症。本コラムでは、治療から回復までの体験を振り返る。

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