最終回 私のガラポン不妊治療

ガラポン画像

ガラポンとは

八角形の箱を回転させ、当たり玉を引く福引き抽選器の通称。
一等の金色の玉を一発で当てることもあれば、末等の白い玉を引き続ける場合もある。
引手を一喜一憂させるが、手を回し続けなければ決して玉は出ることがない単純な仕組み。

やらない手はない

生殖医療科を卒業し、産婦人科へ転院できたのが42歳。
出産予定は43歳ど真ん中。

最初で最後の高齢出産に向けて、慎重に備えよう。
妊娠10週目を迎えると、夫婦で遺伝カウンセリングを受け、新型出生前診断に臨みました。
妊婦の採血で判定でき、精度が高いといわれる検査です。
早いうちに安心材料を得たことはプラスに働きました。

産院は、24時間無痛分娩を実施するハイリスク対応の大学病院に決めました。
産後の母ケアはスパルタ系でしたが、スパルタに転ぶと吉と出る当方です(笑)。

70代後半になる私の両親に妊娠報告をしたのは、安定期もしばらく過ぎてから。
第一声が「大丈夫なのか?!」だったのも当然です。

切迫早産による約3ヶ月の絶対安静を経て無事に息子を出産できましたが、振り返るとヒヤッとする場面もあり、手を合わせずにはいられないのです。

「妊娠・出産は早いほどいい」
これは、産後も痛感します。

40代からの育児について友人曰く
「疲れが……深い」
これはなんたるリアリティ。

「ど~んと構えて40代の余裕を感じる」
と言ってもらうこともありますが、右往左往する余力がないだけかと思われます(笑)。

さて、不妊治療に話を戻しますと。

昨年は、40代の3人の友人が、体外受精を経て母となりました。
2年以内に妊娠したケースから、8年間の歳月の末に願いを叶えた女性まで、経緯はそれぞれ。

彼女たちからも治療現場の今を聞くにつけ、驚かされるのは生殖医療の進化です。

私が通った病院には、国内初となる「卵子エイジングケア外来」が新設されました。
難治性着床不全に対する専門外来もでき、ケースに応じて使う新薬の詳細がHPにも明記。
治療と仕事の両立の便宜が図られ、午前と夜間の診察時間も延長されています。

希望の選択肢が広がってきている。
ならば、「やらない手はない」と目先を変えてみると、最初の一歩を踏み出しやすいのではないでしょうか?

また、「その手があったか」と印象的だったのは、ある友人のスタンス。

彼女は、治療工程で『次の一手』に出る肝心な診察の時には、専門用語も多い医師の言葉を聞きもらすまいと、医療に従事する友人を同伴して臨んでいました。

医師とのコミュニケーションも周知する友人のアテンドは、幸運なレアケース。
ですが、他にも手段として、医師を紹介してくれた方や、治療の経験がある友人に診察の同伴を依頼してみることは『有り』かと思えるのです。

一方、下記は米国の話題です。

ご主人の転勤でニューヨークに住む友人は、現地で不妊治療を始めるにあたり、「右も左もわからない。プロに訊くのが早道」と、在米日本人向けの妊活・不妊相談コンサルタントオフィス「STORK TALKS」に問い合わせをすると話していました。

オフィスを立ち上げたのは、Chisa Yamanobeさんという女性です。
日本で長年培養士としてのキャリアを積んだ後に渡米。

世界的に知られる不妊専門クリニック「New Hope Fertility Center」にて、通訳も数多く経験という豊かなプロフィール。
異国にて、培養士としての実績もある日本人女性に相談できる機関があることも、治療に向かって合理的に歩を進める友人の姿勢も素晴らしいことだと思いました。

人生に『やる』か『やらないのか』の選択を迫られる正念場があるとすれば、不妊治療もそのひとつ。

心身的・経済的・時間的に負担がかかり、そう簡単に決断できることではありません。

しかも、結果はどう出るかはわからない、まさに『ガラポン』のような世界。

ですが、もし。

「いつかはやろう」と思いつつ、漫然と時を待っているだけならば。
「やらない手はない」と時を掴みにいく方が、その先の自分自身に納得がいくのではないでしょうか。

プロフィール

【ライターM・T】
1973年生まれ。女性誌、男性誌、音楽専門誌、ライフスタイル誌、CDのライナーノーツなどで文筆活動を展開中。
2017年、43歳の時に第一子を出産。本コラム「私のガラポン不妊治療」では、40歳から開始して約2年間に及んだ不妊治療を振り返る。

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