円高・円安とはどういうことか

ドルやユーロのような外貨に対して、円の価値が相対的に高くなることを「円高」、逆に円の価値が相対的に安くなることを「円安」といいます。

例えば、1ドル=100円だった円が、1ドル=80円になったら「円高」になったといいます。でも、100円が80円になるのだから、「円安」なのではないかという疑問を持つ方も多いのではないでしょうか。間違えやすいところです。

例をあげて考えてみましょう。海外旅行に行く時には、円をその国の通貨に交換して持っていきます。そこで、1万円をドルと交換するとしましょう。

1ドル=100円なら   10,000(円) ÷ 100 = 100(ドル)
1ドル= 80円なら   10.000(円) ÷  80 = 125(ドル)

同じ1万円でも、1ドル=100円のときより1ドル=80円の方が、たくさんのドルと交換することができます。つまり、1ドル=80円の方が「円の価値が高い」ので「円高」ということになります。

為替レートの推移

為替ルートの推移

グラフは、1980年以降の為替レートの推移を示しています。現在、日本は変動相場制をとっているので、日々刻々と為替レートが変わり、円高になったり円安になったりします。ですが、1973年までは1ドル=360円の固定相場制でした。1ドルと交換するのに360円が必要だったのですから、そのころと比べたら、1ドル100円前後で推移している近年は、円の価値がとても高くなったといえます。

ここ20年くらいを見ても、1ドルが80円から120円くらいの範囲で推移しています。これまでで最も円高になったのは、ギリシャ発のヨーロッパ金融危機で世界中に不安が広がった2011年10月で、1ドル=75.54円でした。

なぜ円高・円安になるのか

では、なぜ円高になったり、円安になったりするのでしょうか。為替レートが変化する主な要因を挙げて、なぜ円高や円安になるのかを考えてみましょう。

金利

日本の金利がアメリカの金利よりも高い時には、アメリカより日本で資金を運用する方が多くの利益を得られます。そこで、日本の銀行に預金しようと考えるアメリカ人が増えます。日本の銀行に預金するためには「円」が必要ですから、手持ちのドルを円と交換する、すなわち円を買うためにドルを売る「円買い・ドル売り」が増えます。需要と供給の法則で、買われるものの値段が上がり、売られるものの値段が下がるので、「円高・ドル安」となるのです。

輸出

日本からアメリカへの輸出が増加した場合、アメリカ人がドルで日本製品を買うケースでは日本の企業が代価として受け取ったドルを円に交換する量が増えます。またアメリカ人が円で日本製品を買うケースでは、アメリカ人はあらかじめ円を用意しておかないといけないので、手持ちのドルを円に交換する量が増えます。どちらの場合も「円買い・ドル売り」が増えるので、「円高・ドル安」となります。

輸入

逆にアメリカから日本への輸入が増加した場合、日本人がドルでアメリカ製品を買うケースでは、日本人がドルをあらかじめ用意しておくために、円をドルに交換する量が増えます。また日本人が円でアメリカ製品を買うケースではアメリカ企業が代価として受け取った円をドルに交換する量が増えます。どちらの場合も「円売り・ドル買い」が増えるので、「円安・ドル高」となります。

物価

日本の物価が下がった時、またはアメリカの物価が上がった時、アメリカの品物より日本の品物が割安になって買いやすくなります。ドルを円に交換する量が増えるので、「円高・ドル安」となります。逆に日本の物価が上がった時、またはアメリカの物価が下がった時、日本の品物よりアメリカの品物が割安になって買いやすくなります。円をドルに交換する量が増えるので、「円安・ドル高」となります。

株価

日本の株価が下落した時、またはアメリカの株価が上昇した時、日本の株を持っているアメリカ人には日本の株を売ろうと考える人が増え、日本にはアメリカの株を買おうと考える人が増えます。そのため円をドルに交換する量が増えるので、「円安・ドル高」となります。

政治

例えば、ある国で戦争やクーデターが起きて、その国が無くなってしまうのではないかと多くの人が不安を感じるようになったとします。もし国が無くなってしまえば、その国の通貨を持っていても意味が無くなってしまうので、その国の通貨を持っている人は、他の国の通貨に替えようとします。そのため、その国の通貨は安くなってしまいます。このように、政治的な要因で為替レートが影響を受けることがあります。日本の国が無くなってしまうような事態は考えられませんが、政治家の不祥事等が発覚して政局が不安定になった場合などには、円安になることがあります。

参考文献:藤田康範『よく分かる経済と経済理論』学陽書房、2003年、pp.141-146

文:蟹山淳子